ヒュンっと何かが風を切る鋭い音がして、それを合図に骸はほぼ反射的に身を引いた。
次の瞬間、それまで頭があった位置に振り下ろされるトンファーの、そのあまりの速さに内心息を呑む。
人気のない深夜の路地裏で、一番会いたくない男に見つかってしまった。


「…まったく、君には驚かされますよ」


動揺を悟られぬよう薄く笑って、体勢を立て直しながら呟くと、路地の影から見慣れた黒髪が現れた。
トンファーを構え直した雲雀がこちらをじろりと睨んでくる。


「なんだ、今のは入ったと思ったのに」


不機嫌そうな表情に対して、その声音は心底楽しそうな響きを含んでいた。
相変わらずの狂いっぷりだ。骸は唇を歪ませる。


「君がその敵意と闘志を剥き出しにしていなければ危なかったですよ」


皮肉を込めて笑いかけると、今度こそ本当に不機嫌になったらしい雲雀の顔つきが変わった。
スッと切れ長の目を細めて両手を構える。愛用のトンファーを握る手に力が込められていくのが離れた位置からでも分かった。
いけない。軽くからかったつもりが、これは本気で怒らせたかもしれない。
仕方なく、応戦するべく自分も武器を構える。


この妙な追いかけっこを始めて、すでに数年が経った。
あの廃墟での出会いを雲雀はいまだに認められないらしく、骸と戦う機会を熱烈に歓迎しているどころか、近頃ではわざわざこうして仕事先に乗り込んでくるまでになった。
それは雲雀が学校と名の付くものを卒業し、舞台を日本からイタリアに移した今なお続いている。

繰り出されるトンファーの一撃を槍で受け止める。
速いのに重い。戦闘センスの塊だ、と思う。
大きく槍を振り払って距離を取った。少しでも気を抜くと致命傷を喰らいかねない。


「…ねぇ。こんな時間にこんな所まで来て、いったい何が目的なんですか?」
「そんなの決まってる」


何を今さら、と言わんばかりに雲雀は笑った。
先ほどまでの不機嫌さはどこへやら、だ。


「君と戦いたい」


その真っ直ぐすぎる瞳に、骸はたじろいだ。
思わず視線をそらす。雲雀のこの目は、術士である自分さえ簡単に動揺させる。

身体はまだヴィンデチェの水牢の中だというのに、こうして雲雀は戦いを挑むことをやめない。
それも、骸が表の世界に用があって幻覚で外に出てきている、そのわずかな期間を狙ってくるのだ。
こちらの動きをあえて教えているわけではもちろんないので、その勘の良さには正直驚きを隠せない。

そうまでして、彼は自分を追ってくる。その熱意が骸には分からない。

使い捨ての道具のように扱われ、一人の人間としてすら存在できなかった。
それはもう何年も前のことで、今では環境も時代も、何もかもが違うのに。幼少期の記憶は、いまだに骸の意識の深いところに重く絡みついている。
たかだか一度だけ、敗北の痛みを刻み込んだことがあるだけだ。
雲雀恭弥という男がそんな自分に向ける、この異常なまでの執着が、理解できない。


「君の周囲にはもっと相手をしてくれる人がたくさんいるでしょう」
「何を馬鹿なことを言ってるの」


返事をしながら、再び雲雀が骸の懐に飛び込んでくる。
至近距離で、互いの武器をぶつけ合わせながら、じりじりと距離を測る。力を込めれば込めるほど、理解できない、あの熱のこもった視線が骸に絡みつく。


「君じゃなきゃ、意味がない」


それはまるで、「君が欲しい」と、そう、言われているようで。


彼の武器を受け止めていた腕の力を抜いた。
驚く雲雀に、安心させるようにっこり笑いかける。振り下ろされたトンファーの先が骸の体にめり込むことはなかった。彼の武器が触れた部分から幻覚が解け、霧となって空中に溶けていく。
「時間切れです」と呟くと、雲雀は心底嫌そうな顔で骸を睨みつけた。
胸から腕、腰から足へと幻覚の消失が広がっていく。なす術もない彼は相当悔しいだろう。

指先が見えなくなってしまう寸前に、骸は腕を伸ばして、雲雀の頬に触れた。
戦闘で火照った熱が消えかかった指先に届く。


「……せいぜい頑張って、僕を捕まえて下さい」


目を見開く雲雀にそう囁きかけて、骸は完全に幻覚を解いた。
意識が戻る先はいつもの暗く冷たい水牢で、だから自分がつい先ほどまで感じていた夜風や戦闘の余韻はあくまで脳を通して感じた擬似的なものに過ぎない。そんなこと、分かっている。けれど。

重く冷たい手枷で戒められた指先に意識を向ける。
それは冷たい水の中にあって、本当に久しぶりに感じた、熱だった。






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2014/05/18
(なんて刺激的なまどろみの逢瀬!)

生誕記念に。骸、お誕生日おめでとう